熱病とその存在意義。
「流行がどうの、良いの悪いの」って言っている時点で、
流行の影響下にある、ってのは何だか謎かけみたいだけど本当の事。
流行にはそうとう疎い銀輪ですが、
それでもやはり流行という言葉を意識しているが故に、
流行である・なしを考えるのです。
で、今自転車業界で流行と言えば、何度でも言いますが、
固定・Fixxe・ピスト、そんな言葉の表す「アレ」ですね。
お陰さまで、以前「山を荒らす」「ハイカーに恐怖感を与える」
「私有地の無断侵入」等と揶揄されたMTB批判もすっかり影を潜め、
少なくなったMTBの効果か、ハイカーのトゲトゲした視線もすっかり無くなり、
代わりに飴・チョコレートのお裾分け量が随分増えた様に思います。
そんな流行モノ。
良い・悪いの観点で語るのはあまりに短絡的ですが、
それでも流行と言うのは、物量が過剰になる事も同時に意味するので、
純度が下がる、つまり得られるはずのモノを得られない率が上がる、
と言う事でもある。
固定が良いの悪いのって意見も有るけど、基本的には「うるせぇ、ボケ」って話で、
良ければ乗れば良いし、駄目なら乗らなきゃ良いってだけの、
至ってシンプルな御話。
でも、その良さ・悪さってのが、どうにも言語を介して伝播してしまうってのが、
流行の怖さですね。
ほんで、そんな大流行に巻き込まれたモノの末路は、と言いますと、
それはそれは悲しいモノで御座います。
勢いよく膨らんだ分、収束した後の弛みっぷりに、
世間の目は冷たく、それの良し悪しは語られる機会さえ稀になり。
コイツなんか如何でしょう。
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ヤマハ TW。通称ティーダブ。
極太バルーンタイヤによる他には無いインパクトと、
足に丁度良い排気量、そして流行に後押しされ加速度的に増えた改造部品。
数の論理は激流となり、
TVドラマでキム・ドクが乗った事でその流れは頂点に達し、
今となっては「乗る事が恥ずかしいバイクNo,1」の座を,
見事射止めてしまった感が有ります。
特に中途半端に改造されたそれには、もがいて求めた個性など無く、
ただ単に、簡便に他との差違を得たいと言う、矮小な印象しか残らず、
とても見上げられたモンでは無くなってしまいました。
じゃぁ、そのバイクの「本性」はどうなの?矮小なの?流行なの?たかがなの?
そんな事言う奴はアホウです、保証します。
TWとは、極太タイヤを生かして、普通では行けない所の、
もう一歩先へ行ける可能性を与えてくれる、
非常に優れた一台であるだけでなく、
こんな売れなさそうな車体を設計して発売した、
その賭け自体が非常なる挑戦であった事にも意義が有る。
またその危うく、夢溢れる車体をたった¥30万以下で出した事さえ挑戦であり、
私如き苦労知らずが、何か言えようか?否。
でも、どんなに優れたモノでも、頑張ったモノでも、
流行というなの熱病の持つ大きな力には逆らえず、
言われ無き差別を受ざるを得ない、と言うのが実情でありまして、
まだ住める家でも、人が住まなければ廃墟になる様に。
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でよ。
自転車は如何?
Fixxedは如何?
その自転車の持つ魅力・力・存在を舐めてないか?
流行という名の追い風を受けて、見る目に虎の威を被ってないか?
固定の良いの悪いの言われる事甚だしいが、
其々言う事は、其々正しい。
そんな中で、自分に少しでも光を観じさせてくれるのは、
何せ自転車は「良い物」なんだと、頭で無く身体で体現している人達の、
その瞬間。
難しい事かもしれないけれど。
本質を掴もう、少なくとも掴もうとしよう。
それは「趣味」「遊び」と言う言葉に対する礼儀であり、
自己存在への骨子でもあるかもしれないのだから。
それを掴もうと、本気でするのであれば、
ノーブレーキだの、レーパンだの、お洒落だの、キショイだの、
流行だの、無知だの、本気だの、タイムだの、安全だの、
魂だの、モラルだの、憎いだの、リスペクトだの、
そんなモンはクソチンケなモノだった、少なくとも自分の目にはそう映るって、
そんな風には思わないかい?
良いモノは良い。究極の所、その最後の一手を決めるの自分でしか有り得ない。
それを実感出来ない事、大した事無いモノを崇める事はとても怖い事。
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在りし日、琵琶湖の空に輝いたイーゴスも、
今や解体する費用を出す価値も無いガラクタと成り果てた。
イーゴスに乗った全ての人が、イーゴスの価値を理解して楽しんでいたなら、
こんな事になる事も無かったろう。
全ての事に自分の価値を当て嵌めるなら・・・戦争ばかりになってまうかもしれん。
でも、生活の中で、自分の我侭を具現化する「趣味」というモノに置いて位は、
自分はどう思うか?稚拙でも、嘘臭くても、考えて楽しんで行ければ。
そんな風に思わずには居れんのですわ。