座久成労、メリケン粉。
仕事も家庭も、一度忘れてアメリカ縦断ツーリング中の人からの葉書。
膝の不調を抱え、未だアラスカから出られぬジレンマが見える。
まぁノンビリすれば良いさ、走るだけが人生じゃねぇし、
この際アラスカに定住し、フランク安田みたいになるのもまた羨まし。
なんて、知った顔していると、冬にも一度来たツーリング野郎がまた来た。
もう2年以上走り続けているそうで、勿論まだまだ走り続ける為に、
部品の調達に寄ってくれただけ、次は中国だってよ。
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自転車って何だ?何で走り続けるんだ?
コレは自転車を商う事を生業としながらも、頭からズッと離れない事です。
答が出る日もありますが、それはやがて裏返ったり、色褪せたりして、
中々真ん中には触れる事が出来ずに居ます。
走るだけならね、単車でも良いじゃないか。
自分、単車も乗るんですが、コレがまたとんでもなく気持ち良いです。
軽四よりもズッと大きな二気筒のエンジンが積んであって、
前に行きたい時は手首捻るだけで、ドコドコドコッ!って、
交通の流れから自分だけスッと逃げられる、そんな自在感があり、
こと移動能力だけでいうなら、当然自転車を圧倒する。
自転車よりも速く、自転車よりも楽に、自転車よりも常識的に移動できる。
自転車が勝てるのは、より安く、より単純で、そして人間より小さい事、
つまりより自分に近い事、それに起因する安心感。
一時は、そこにこそ自転車の神髄があるのでは、と思っていたんだけどね、
それを拝するほど信用する事が出来ない、
と、いう事は何かに引っ掛かってるという訳だ。
何だかんだ言って、自転車ってしんどい。
じゃぁ、自分に近くて、そしてよりしんどくないモノが有れば、
諸手を挙げてそれを迎え得られるか?
一瞬、止まってしまいそう。ならば、止めた其れの正体は?
きっと自転車を漕ぎ続けるのは、自分の意思が直接移動に結びつくから。
移動しようと思い続けている限り止まらない自転車。
オートバイは、手首の力とガソリンと空気が化学反応起こして移動してるから、
そこに自分の意思以外のモノが多く含まれ、移動の決定は時に多数決。
それに慣れた時、移動する責任も、移動しない責任も所在がボケはじめ、
時に自分の移動に客観を持ち込んでしまい、傍観者となる。
自転車は「しんどい」。
漕げば漕ぐほど、こそばい様な痛みが腿をノックし、
「まだ行くん?」と問いかけて来るので、此方は答なればならず、
「イエッサー、行きますです!」とついつい。
その鬱陶しい問いかけ、普通は「忌避」される負の要素こそが、
まるで納豆の臭みの様に、ビールの苦味の様に、
慣れるに従い、欠かせない「お決まり」要素となり、やがて華となる。
禅の公案に、
「先生、何でダルマさんはわざわざこんな異国まで来はったんでしょう?」
と言う問いに、
「座久成労」=「座りっぱでケツだっる~」と答えた、というダジャレがあるのですが、
ほんま自転車のホイールのハブって、マニ車なんやなぁ、と思わずには居れん。
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まぁ「答」が好きなら車輪なんかグルグル回してんと、
一本の筋にでも乗って、綱渡りでもしてるって話か。
そしてオッサンは納豆の様な匂いを残して、またダルくなりに活きましたとさ。