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座久成労、メリケン粉。

仕事も家庭も、一度忘れてアメリカ縦断ツーリング中の人からの葉書。
膝の不調を抱え、未だアラスカから出られぬジレンマが見える。
まぁノンビリすれば良いさ、走るだけが人生じゃねぇし、 
この際アラスカに定住し、フランク安田みたいになるのもまた羨まし。
  
なんて、知った顔していると、冬にも一度来たツーリング野郎がまた来た。 
もう2年以上走り続けているそうで、勿論まだまだ走り続ける為に、
部品の調達に寄ってくれただけ、次は中国だってよ。 
2008.06.19 008.jpg
自転車って何だ?何で走り続けるんだ?
 
コレは自転車を商う事を生業としながらも、頭からズッと離れない事です。
答が出る日もありますが、それはやがて裏返ったり、色褪せたりして、
中々真ん中には触れる事が出来ずに居ます。
 
 
 
走るだけならね、単車でも良いじゃないか。
自分、単車も乗るんですが、コレがまたとんでもなく気持ち良いです。
軽四よりもズッと大きな二気筒のエンジンが積んであって、
前に行きたい時は手首捻るだけで、ドコドコドコッ!って、
交通の流れから自分だけスッと逃げられる、そんな自在感があり、 
こと移動能力だけでいうなら、当然自転車を圧倒する。 
 
 
 
自転車よりも速く、自転車よりも楽に、自転車よりも常識的に移動できる。 
自転車が勝てるのは、より安く、より単純で、そして人間より小さい事、
つまりより自分に近い事、それに起因する安心感。
 
一時は、そこにこそ自転車の神髄があるのでは、と思っていたんだけどね、
それを拝するほど信用する事が出来ない、
と、いう事は何かに引っ掛かってるという訳だ。 
 
何だかんだ言って、自転車ってしんどい。 
じゃぁ、自分に近くて、そしてよりしんどくないモノが有れば、
諸手を挙げてそれを迎え得られるか?
一瞬、止まってしまいそう。ならば、止めた其れの正体は?
 
 
 
きっと自転車を漕ぎ続けるのは、自分の意思が直接移動に結びつくから。
移動しようと思い続けている限り止まらない自転車。
 
オートバイは、手首の力とガソリンと空気が化学反応起こして移動してるから、
そこに自分の意思以外のモノが多く含まれ、移動の決定は時に多数決。
それに慣れた時、移動する責任も、移動しない責任も所在がボケはじめ、
時に自分の移動に客観を持ち込んでしまい、傍観者となる。 
 
自転車は「しんどい」。
漕げば漕ぐほど、こそばい様な痛みが腿をノックし、
「まだ行くん?」と問いかけて来るので、此方は答なればならず、
「イエッサー、行きますです!」とついつい。
 
その鬱陶しい問いかけ、普通は「忌避」される負の要素こそが、
まるで納豆の臭みの様に、ビールの苦味の様に、
慣れるに従い、欠かせない「お決まり」要素となり、やがて華となる。 
 
 
 
禅の公案に、
「先生、何でダルマさんはわざわざこんな異国まで来はったんでしょう?」
と言う問いに、
「座久成労」=「座りっぱでケツだっる~」と答えた、というダジャレがあるのですが、
ほんま自転車のホイールのハブって、マニ車なんやなぁ、と思わずには居れん。
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まぁ「答」が好きなら車輪なんかグルグル回してんと、
一本の筋にでも乗って、綱渡りでもしてるって話か。 
 
そしてオッサンは納豆の様な匂いを残して、またダルくなりに活きましたとさ。